元不登校が体験して感じた、不登校の「メリット」と「デメリット」
【元不登校が体験して感じた、不登校の「メリット」と「デメリット」】
社会的目線で見ると「デメリット」だけれど、人生的目線から見ると「メリット」
本日の記事では
「元不登校が体験して感じた、不登校のメリットとデメリット」について、解説していこうと思います。
一見、「不登校」というワードだけを見ると「デメリット」や「漠然とした悪いイメージ」「ダメな事」という印象が尽きがちです。ですが、当ブログでは、実際の筆者自身の経験を踏まえ、今だから言える「メリット」と「デメリット」を解説していきたいと思いますので、是非、不登校で悩んでいる方や、不登校の方に対しての気持ちを汲んであげたいけどわからない、という方の参考になればと思います。
~目次~
1.今回の記事に読んでほしい人
📌 現在、不登校であり、このままでいいのかと不安に感じている方
📌 不登校の状態を続けたら今後どうなってしまうのか知りたい方
📌 不登校の友人が身近におり、その方の力になってあげたいと思う方
上記に当てはまる方は、是非この記事を参考にしていただきたいと思います。
2.不登校のデメリット
「不登校になる」というのは「社会の流れから一時外れる」という事も意味します。そうなってしまった場合、どうしても社会的な意味でのデメリットというのは生じてしまうことになります。それ以外にも、筆者が感じた、不登校を経験したからが故に感じたデメリットというのもあります。
そういったいくつかの例を筆者の経験を交えながら解説していこうと思います。
①受験の際に不利
不登校の時期が「小学校」「中学校」「高校」の時期にもよるかと思いますが、どうしても進学する際の内申点として「出席率」というのは響きます。
それにより希望の進学先の受験を受けさせてくれるか否かというのが影響は少なからずでてきます。
筆者も出席率はおろか、成績もなかったので、卒業時の成績表は白紙で、担任のコメントが記されているだけでした。なのでそんな自分を受け入れてくれる学校は2校しかなく、苦労しました。
そして、優秀な成績を受験時に残したとしても、同じような成績を残した場合、次に比較されるのは出席率を比較されます。比較された際に数値や内申点が高いほうを採用するというのは、世の常です。
②勉強が遅れる
自身が不登校の間にも普通に学校のスケジュールは当然ながら進んでいきます。そうすると必然的に学校の教科書の進行には追いつけず、分野がどんどん進んで、自身で学び直すしか手段がなくなってしまいます。
自身で教科書を見て勉強しなおしたり、学校外での学習塾に通い、補うというのも良いですが「遅れを取り戻す」という点においては、かなりの努力を有することと思われます。
③対人コミュニケーションにおいて差が出る
コミュニケーションに関しては、その人の性格や得手不得手というのがあるかと思います。ですが、コミュニケーションでのやり取りに相手側が「違和感」を感じるそうです。
本人は普通に話をしているつもりでも、相手側からは「早口」であったり「声量が合ってない」との、内容云々ではなく「話し方」に周りとの違いが出てきてしまうという事です。これは筆者も実際に指摘されたりしてきたことでした。
言葉によるコミュニケーションのみならず、人との距離感や、やり取りの円滑さなど、所々で「思った以上にできていない」という事になる可能性があります。
コミュニケーションというのは相手がいて初めて成立します。学校などの人が集まるような場では、自然とそういった事が身についていきます。そもそも学校とはそういった「社会的行動」を育む場でもあるのです。それを不登校によって経験をしていなければ、自然と身についていく方との差が広がってしまうのは、仕方がないことなのです。
④イベントを共有できない
これは、不登校を克服して、学校や職場に復帰した際に起こるデメリットです。
平成30年度の文部科学省が算出しているデータによると、小、中、高での生徒数は「12,972,438人」(約1300万人)の生徒がいると報告されています。(ちなみに、その中で不登校生徒数は「217,251人」(約22万人)と報告されています)
この、1300万人が経験したイベントは、社会に出た際に話題としてあがりやすくその会話で盛り上がりを見せるのは、日常的によく見る光景です。例を挙げるとなると次のようなものがあります。
・運動会
・文化祭
・部活
・修学旅行
・遠足
・職場体験
など・・・
人は親睦を深めようとする際に、共通点や共通の話題を探そうとする傾向があります。ですが、自身の趣味や出来事が相手と共通かどうかは初見ではわかりません。すると無難な話題として「あなたの学校での○○はどうでしたか」などの切り口にたどり着くことがあります。実際にそのような事を話の切り口にしている方も私の友人にはおられました。
そういった話をされた際に「自分は不登校だったので参加できていないんです」と話題が終わってしまうので、膨らますことが出来ず、デメリットとなってしまいます。
筆者も学校のイベントにはほとんど参加できておらず、そういった際は「そちらはどのようにされていたのですか」と(実際にはもっとくだけた感じに)相手に話をしていただくように対処していますが、やはり実際に楽しんできた方の話を聞くのも、どこか心寂しく思う事もあり「イベントに参加できず楽しめなかった」という意味では不登校による一番のデメリットかもしれません。
3.不登校のメリット
世間的に「不登校」という言葉はマイナスなイメージを持たれがちです。
実際に世間の風当たり的にもそうですし、前述させていただいた「デメリット」面からしても納得されることかと思います。
ですが、そんな「デメリット」だらけだった状態を克服した不登校の方には「不登校になったからこそのメリット」というのをぜひ知っていただきたいと思います。
不登校を克服されておらずとも、実際に現在進行形で、得られていることもありますので筆者の体験も交え、解説させていただこうかと思います。
①世界が広がる
私の実体験が中心になるのですが、不登校をどうにかしなければいけないと考え動いたときに、お医者様から「好きな事をとにかくやりなさい」と指導を受けたことがありました。(現在筆者は医療系に携わっているのですが、この指示は医療的にも正しい対応でした)
その時私は、ゲーム全般が好きで、家の中でのテレビゲームやゲームセンターでのメダルゲームなどが当時私にとって、とても興味のある好きな事でした。
親もお医者様の指示という事もあり、私を自由に好きな事をしていいように働きかけてくださいました。学校には行かずに真昼間にゲームセンターにいりびたったり、家の中ではオンラインゲームにひたすらのめり込んでいました。
この時の私は親の目から見ればとても不安でこのままで大丈夫だろうかという心情が大きかったかと思います。ですが私はこの経験を得てとても視野が広くなり、今の私を形作れているといっても過言ではありません。そのような心情でずっと見守りサポートしてくださった親にはとても感謝しています。
ゲームセンターに入り浸っていたことにより、同じように学校を行っていない方と巡り合ったり、不良と世間で呼ばれている方とゲームで仲良くなったり、定年を超えて暇つぶしにゲームセンターに来られている高齢の方から色々と人生の話をしてくださったりなど、学校では得られない経験を得ることができました。
オンラインゲームでは、チャットやゲーム内での交流をすることで自身の状況を理解してくださる方が現れたり、自身と同じ状況の方がいて、その方と実際に会う機会に恵まれ、そこからお付き合いさせていただく経験もありました。
上記は私の実体験ですが「何か好きな事にだけ動く」という働きかけを行う事だけで、色々なドラマが生まれる可能性がこの不登校という状況にはパワーがあります。
そもそも、この不登校という状況が既に「新しい視野の世界」なのです。今の状態はあなたにしか経験できていない景色であり、そこから動き出す物語は、普通に過ごす学校生活以上に濃い思い出となります。
10人中9人が学校内での同じような思い出を話すのと、残りの1人が不登校を経験した中での思い出は、人に話す際にどちらが興味を惹かれるでしょうか。
どのような世界が広がるかは、動き出す行動次第になりますが、「不登校」を経験した人にしか見れないものがあると私は考えています。
②物事を違った目線で見ることが出来る
物事を違った目線で見る、というのは「多角的に物事を見ることが出来る」ということです。これは、自身が不登校を経験したからによって備わる事だと思っています。
不登校の経験がない方が「不登校」を見られた時にはその方の背景にどのような「事情」があるかを想像できずに「休んでいる」という結果にのみ目を向けがちかと思われます。ですが、その不登校を経験した私たちであれば、その「不登校」という現象に対し、どのような事があって、こうなってしまっているのか、自身が感じたり思っていることと周りの方が思っていることとに差があって、理解してもらえずにいたりなど、苦しんだりした経験などは無いでしょうか。
この事を経験していることによって、物事に対し色々な理由があるんだな、ということを感じることが出来るようになり「多角的な目」で物事を見ることが出来るより、本質を見抜くことが出来る人になると思います。それについての具体的なメリットとしては
「多くの情報に振り回されない」
「壁にぶち当たった時に打開策を見つけられる」
「誰も考えつけないようなアイデアを生み出し、差をつけれる」
などがあります。
物事には「常識」というものがあり、人はそれに準じて動きます。
社会性として必要不可欠な事ではあるのですが、それに準じているだけの人は残念ながら「大勢の中の一人」「替えの利く人材」というように捉えられてしまう事が多いです。なので、この常識とは違う考えを持てるようになった方は、この流れを大きく変える可能性を持っており「この人しか持てない考え方」「替えの利かない人」という存在になり社会的にも、人間的にも「強み」になるかと思います。
この「違った目線で見る」という能力は、これから先の人生において常識のみで生きるよりも、はるかに役に立って生きれることのできる「資産」になるかと思います。
③優しくなれる・思いやり、共感が出来るようになる
不登校の経験というのはとても辛く、克服するといっても容易なものではなりません。ですが、それを克服しようとした努力であったり、その時の辛かった経験というのは、確実に、これから一生の財産となり役に立つことかと思います。それは学校で習うであろう教科の「英語」や「数学」などといったものとは比べ物にならないほどだと私は断言できます。
不登校の立場というのは、世間的にも低い立場で過ごされたかと思います。その経緯をたどったからこそ、気づける点や、苦しいことへの理解ができるようになるのではないでしょうか。この経験は、これから先に人と接する場面であなた自身の「核」となり、多くの人の心に寄り添う事を可能にするかと思います。
④忍耐が付く
先に断りを入れておきますが、決して「我慢ができる」という意味とは全くの別の意味という事を念頭に入れておきたいと思います。「我慢」というのは自身が行いたいことを抑える行為であって、不登校を経験した方たちからすれば最も避けるべき言葉かと思います。
ここでの「忍耐」というのは「目標に向かって粘り強くなれる」という意味です。
不登校を経験し、その状況を克服(又は途中)された方はとてつもない努力をされたかと思われます。一般の方から見れば些細な努力だとしても、その状況から脱しようとした努力は、これから先で予想以上のアドバンテージを得れます。
例えば、何か不登校の経験がない方(以下Aさん)と不登校を経験し克服した方(以下Bさん)、が同じ目標を設定したとします。
ここでは「1か月後にピアノで1曲弾けるようになる」という目標にしましょう。
1週間目
お互いに一生懸命に練習しAさんの方が要領がよく上達が早いです。
Bさんも間違いなく上達はしているのですがAさんに比べるとまだ足りない感じがあります。
2週間目
Aさんは少しづつ他の事や自身の好きな事に気移りするするようになります。ですがAさんのピアノの腕は依然と同じペースで上達していき、Bさんはそれを追いかけているという形です。ですがBさんはAさんの上達を追いかけながらも、目標に向かって行う気持ちは変わっていませんでした。
3~4週間目
Aさんはピアノの練習してますが、1週間目の情熱を忘れて身が入らず、練習をしない日などがでてきました。ですが曲はしっかりと完成させており「一か月後に曲を一曲弾けるようになる」というのは達成したのでこれでいいかと練習を追えます。
同じくBさんも同じように曲を弾けるようになりました。ですがAさんと違い、弾けるようになったら、との最初の情熱を忘れずに取り組み、完成は遅くなったかもしれませんが、「質」はとても良いものに仕上がりました。
1か月後
AさんとBさんはお互いに「1曲弾けるようになった」という事実は変わりません。ですが、どちらがレベルが高いかというと、目標に向かって真摯に向き合ったBさんであり周囲に演奏をお互いにしあった時に人を感させる演奏が出来たのはBさんの演奏でした。
ここでの大事だったのは、目標に向かう「心構え」です。この心構えを維持するのは思った以上に大変です。理由は「人は基本的に怠惰な生き物だから」です。
今の世の中は休憩を取るなどの手段で溢れています。SNSやゲームYouTubeなどの動画コンテンツ。何か目標に向かって進む際にこれらは誘惑となって目標への障害物となります。ここで先ほどの目標に向かう際で「忍耐力」の差が出ます。
Aさんは不登校を克服するといったような、乗り越えた経験がありません。なので、誘惑に流されてしまいます。もしかしたらそのまま目標を諦めてしまっていたかもしれません。
ですがBさんは不登校を克服した経験から、目標に向かって進む能力がAさんと比べて自然と備わっており、目標の予想以上を達成することができました。
「忍耐力」は物事を最後まで成し遂げれる上で重要な能力で、不登校を乗り越えた方の大きなメリットの一つかと思います。
⑤成功者になりやすい
これは、上記の①~④の事を総合したうえでの見解です。
実際に不登校を経験した方が経営者になったり、何か偉業を成し遂げたりしてる方が世間で探すと結構おられます。
ちなみに、成功者というのは
「お金持ち」
「社会的地位が高い場所に就かれた方」
「自身の生き方に満足して生きれる方」
をここでは定義させていただきたいと思います。
これらの成功者と呼ばれる方は、なにも「ただ生きていたらそうなった。」という方はいません。いたとしても長くその状態を維持することはできないでしょう。(宝くじを当てた、ギャンブルで大当たりした等の方々)
これらの方のドキュメンタリー番組やSNS、まとめサイトや書籍などを見て共通していたことは、貧困な産まれからの「逆境」を脱しようとしていたり「違う視野を持っていた」という方がほとんどでした。そしてなにより「人」を理解しており、最後まで物事をやり遂げるまで諦めたりしていませんでした。
普通の生活を送っていると、この成功者の「軌跡」に当てはまる事は難しいでしょう。ですが「不登校」を経験した私達なら・・?
不登校を克服し、上記の①~④を得られた方は自然と「成功者」と同じスペックを得ているのです。
不登校を克服した先にどう生きるかは本人の自由です。ですが、それだけのポテンシャルが、不登校経験者にはある、ということを頭の片隅に入れながら過ごしていただければと思います。
5.まとめ(不登校を経験した方の総合したメリットとデメリット)
不登校のメリットとデメリットをこれまでご覧になっていかがだったでしょうか。
私自身が今の状態で言えるのは不登校としての経験は「メリット」でした。
ですが、当時の私は出口がない暗い場所にずっとうずくまっているような状態で、あの時私が「この経験はこれからに繋がる」とは天地がひっくり返っても思わなかったでしょう。
なので、不登校はメリットかデメリットかのまとめとしては「捉え方次第」となります。
ですが、筆者といたしましては「不登校は良い経験だった」と、胸を張れるような方が増えてほしいので、当ブログでそのお役に立てれる記事を今後書けていければと考えております。
この記事を見て、今現在不登校であっても、不登校の身でなくなった時に希望が見いだせたり、わくわく感を少しでも感じていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。